こんにちは!
私自身、性教育を始めたきっかけにもなった、忘れられない出来事があります。
今日はそのことについてお話ししたいと思います。
それは私の幼少期の頃の経験です。
私自身、小学校1~3年生のとき、いじめにあっていました。
いじめを主導する子は2人いました。
いじめられる子は私を含め3人いました。
いじめを主導する2人の気分によって、いじめの対象は変わります。
下校中ランドセルを持たされる、
皆が嫌がる役を押し付けられる、
学校に持ってきてはいけない物(お菓子、大金ではないですが小銭)を持ってくるよう命令される、
記憶のなかでは、そういったことがありました。
他にいじめられている子の中には何度も蹴られたり、叩かれたり、ということもありました。
自分の親に「いじめられている」とは言えなかったですが、
「頭痛い。休む。」
と何度かずる休みをしていました。
熱もなかったですし、ずる休みであることは、母も分かっていたと思います。
母に登校を強要されることも、学校で何かあるのか、深く聞かれることもなかったです。
学校から帰ってきて、忙しい母がめずらしく家で迎えてくれて、
「学校楽しかった?」
と聞かれると、反射的に
「うん。楽しかった…」
と答えていました。
いじめられてるなんて…
自分が情けない、
母を悲しませたくない、
という思いなのか…
なぜだか正直に話せなかったです。
母は本当に仕事が忙しく、また、同居していた私の祖母(母の姑)は、とにかくこわい人で、母は絶えず文句や悪口を言われていました。
母は母でとても苦労しているのは分かっていました。
余裕もなかったと思います。
親を責めるつもりはないですが、つらいとき親に寄り添ってもらえた、という思いはないです。
2年生の終わり頃、一度勇気を出して私から母に、
「○○ちゃんがこわいから、学校嫌。」
と伝えたことがありました。すると、
「もうすぐクラス替えがあるから。離れ離れになるわ。あともう少しやから。」
と言われました。
私はそれ以上、何も話せませんでした。
クラスが離れたっていじめはなくならない、
一日一日がつらいのに…
もう限界なのに…
もっと訴えかければ良かったのですが、その時の私は、
「もう無理だ、我慢するしかない」
と絶望しかなかったです。
3年生になり、いじめていた子たちとクラスは離れ離れになりました。
でも案の定、いじめが終わることはありませんでした。

でも転機が訪れます。
同じ登校班だった近所の上級生が、いじめに気づき、学校に伝えてくれました。
その時の担任の先生には今でも本当に感謝しています。
いじめに関わった人、見ていた人、全員を一人ずつ部屋に呼び、事情聴取のように話を聞いていきました。
私の順番になった時、先生が、
「何も考えなくていいから。本当にあったことだけ、事実だけを話してくれたらいいからね。」
と優しく言ってくれました。
私は何も考えず、泣きながら本当のことを話しました。
私が話すことを簡潔にまとめるのではなく、一語一句聞き漏らさず、ストーリーのように書き留めてくれていたのが印象的でした。
それらの証言をもとに、いじめていた子たちの嘘を指摘、指導してくれたのです。
これ以降、嘘のようにピタッといじめもなくなったのです!
担任の先生も忙しい中、いじめを明るみにすることも、対応することも、大変なエネルギーだったはず。
人生を救ってもらった恩人だと、ずっと感謝しています。
私自身、成長するにつれて、いじめる子たちの心理を理解することもありました。
いじめた子の家庭環境が複雑だったこと、
家庭で寂しい思いをしていたことなど、
いじめる子にも理由があるんだ、
いじめた子も傷ついている。
と、自分の中では一旦、消化したつもりでした。
でも時が流れ、大人になって結婚をして、二人目を妊娠中のことでした。
テレビで、
“子育て中の親が、子の経験を通して、親自身が子供時代につらかったことやトラウマを思い出すことがある”
“それが原因で精神的に落ち込んだり、うつ病を発症することもある”
といった内容について特集されていました。
その瞬間に、頭のなかでフラッシュバックのように思い出されたことがありました。
私の他にいじめられていた友達が、放課後の教室、黒板の前で裸にされている場面が閃光のように頭の中で急にブワッと鮮明に思い出されました。
「これでいい?もういい?」
と、隣で泣きながら懇願する友達の表情が今でも忘れられません。
いじめていた子二人と、私がその場にいました。
私は何も言えず、友達を守れず、呆然と立ち尽くしていました。
私もいじめに加担したのと一緒だ、という後悔と、次は自分かもしれない、という恐怖と…
このことはフラッシュバックのように思い出した日から本当の意味で、私の傷になっています。
その時、性的いじめを受けた友達の傷はもっともっと深いと思います。
でも、私も今は記憶にフタをしているだけで、自分も性的いじめを受けていたのかもしれません。
いじめる側にも背景や理由があるのだ、
ある意味いじめる側も被害者なんだ、
といじめた子に同情し、自分の中で消化したと思っていましたが…
この記憶がよみがえって以降、やはり許せない、という思いが強くなりました。
今も性的いじめのニュースを目にするたび、怒りと悲しみと様々な感情が渦巻きます。
でも、負の感情を抱えただけでは何の解決にもなりません。
子供たちにこのような悲しい思いをしない、させないように、
子供たちが被害者にも加害者にもならないように、
性教育を始めようと思いました。
「お母さん、小学校の時いじめられてたんよ。」と、
自分の経験も子供たちに話しています。
学校から帰ってきたときには、
「楽しかった?」の前に、
「嫌なことなかった?」と聞いています。
嫌なことだって話していいんだ、という気持ちでいてほしいからです。
いじめの小さな芽を摘めるのはやはり大人だと思います。
いじめは放っておくと、性的なことへエスカレートします。
性的いじめ・性的被害は、受けた側の人生に大きな影を落とします。
現在、大切とされる【包括的性教育】は、
身体や生殖の仕組みだけでなく、人間そのものや、人間関係など道徳的な観点など、幅広いテーマを含んでいます。
侵害してはならない人権について、色んな角度から伝えていくことが大切だと思います。
当たり前に、性やプライバシーが守られる社会であってほしいと願います。
いじめを一緒に解決してくれた担任の先生のように、私自身も見過ごさない大人でいたいと思います。

何かに押しつぶされそうな日もあるけれど、それも過去になっていきます。
深呼吸して気持ちをフレッシュに、子供たちと、自分と、向き合っていきたいと思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント