こんにちは!
今日は私が子育てをするなかで自分の母親像というものに縛られていた話、母親像を捨てた私が子育てで大事にしたいと思えた性教育について、そのきっかけになった出来事についてお話していきます。
- 自分の子育てってなんだろう?~母親像という呪縛~
- 性教育を始めようと思ったきっかけ
自分の子育てってなんだろう?~母親像という呪縛~
私は長男を出産し、子育てが始まったころは日々の生活に追われ【自分の子育てとは】なんて考える余裕はありませんでした。
衣・食・住を日々繰り返すだけで精一杯。
そして、自分の母親像のようなものに縛られ、自分がしてもらったことを同じようにするのが一番だと思っていました。
【自分の母親像=自分の母親にしてもらっていたこと】でした。
毎日バタバタと過ごし、料理できず、お惣菜が続いた日は申し訳なかったり、仕事で帰宅が遅くなり、寝かしつけが夜10時を回る日が続いた時は子供の成長や健康に悪影響があるのでは、と母として情けなくなったり…。
毎晩読み聞かせをしてやりたいのに、その時間を捻出できない自分の時間管理や家事の不器用さ、怠け癖に苛立ったり…。自分の母親像というのは、時に呪縛のように自身に重くのしかかるものだと思うようになりました。
自分を育て上げてもらったこと、親に対する感謝、それは紛れもない事実です。これからも一生持ち続ける想いではありますが、自分のなかで美化されているところもあるのでは、と自分自身が大人になり経験を積んでいく中で感じるようになりました。
私は子供時代、いじめに遭っていた時期がありました。
その時は、親に対してもっと話を聞いてほしい、守ってほしいと思っていました。
多くの習い事や経験をさせてもらいましたが、自分が結婚し子育てをしていく中で、もっと当たり前のこと、お母さんと料理をしたかったな、つらいときつらいって言いたかったな、あの時母に言われたあの一言は傷ついたな、などなど。
親への感謝は変わることはありませんが、親だって人間で完璧じゃないし、親子とはいえ違う人格を持った人間です。
環境も違います。
教えなくても子供自身が学んでいくこともあるし、「自分も同じように子育てしなければ」って思わなくてもいいんじゃない?と思うようになりました。
そう感じ始めてからの方が、私自身はいい意味で肩の力が抜け、本当の意味で実家や、親から自立できたように思います。自分の子育てや、家族のかたちについてもはっきりと見えてきたのです。
不思議なことに、そうなると実家に行く回数も減り、親へ相談することも減りました。
親離れだったのか、自分のなかで迷いというのはなくなり、自分の家族としてどうしたいか、どうするべきか考えられるようになりました。
でも…一度、
長女「将来の夢は私のお母さんみたいなお母さん!」
と言ってくれたことがありました。
私「めっちゃ嬉しい!でもお母さんも完璧じゃないし、間違っていることもあるから、○○(長女)が大事にしたいことや伝えたいことを大切にするんやで」
長女「うん!私は怒らんとこうと思う!」
私「………うん、そうね…。」
ちょっと先輩ズラな感じで粋がってアドバイスした自分が恥ずかしかった思い出があります…。
(あんまり子供たちに怒らんときます…)
そんな私が子育てをする中で自分は大切にしたい!と思ったのが”性教育”でした。
性教育の大切さを感じる出来事も多々ありました。
私自身が子供の頃、家庭では、生理が始まったらナプキンというものがあるよ、とか学校でも男女分かれて、精子はこんなに小さいんだよ、生理の時のマナーがあるよ、など保健の授業で教えてはもらいました。
でも、もっと性教育について教えるべきことはたくさんあるんじゃないか、という思いがあります。
性教育を始めようと思ったきっかけ
性教育を始めようと思ったきっかけは色々とあるのですが、その一つについてお話ししたいと思います。
長男が小学4年生のときに体験したことが大きなきっかけでした。
その日はたまたま長男の歯科受診があり、小学校まで車でお迎えに行きました。
下校の時間になり、長男が車に乗り込んできたのですが、号泣しているのです。
こんなことは初めてでびっくりしました。
私「どうしたん?」
長男「何でもない」
と繰り返します。
私「何か嫌なことがあったんなら、今ちゃんと言ってくれないとお母さんも○○(長男)も後悔する。絶対守るから話して」
私も泣きながら言い続けました。
するとポツポツと話し始めてくれました。
体育の時間に皆で球技をしていた、お友達にズボンをずらされた。
すごく恥ずかしかった、泣いて怒った。
と話してくれました。
私も長男の気持ちを想像すると、怒りと悲しさと様々な感情が次から次へとこみ上げてきました。
幸い、その際、長男が泣いているのを先生が気付いてくださったようで、話をしてくれたそうです。
でも、長男もいっぱいいっぱいで先生が話してくれた内容についてはよく覚えてないようでした。
私に話せたことで徐々に気持ちは落ち着いてはきましたが、ショックは大きいようでした。
私「正直に話してくれて嬉しい。長男自身が泣いて怒ったことも、お友達のためにも大事なことだったと思う。
当然の感情だし、つらかったな。」
と伝えました。
私「お友達に悪気が無くて、たまたまふざけていただけなら…お友達が反省しているんなら、一回は許さないといけないかもしれない。」
「先生が状況を知ってくれているようだから、お母さんからも聞いてみる。お友達がまた、同じことをしてくるようであればその時は、お母さんは許さない、強く抗議する。」
と伝えました。
長男は泣き止み、何も言わず、うなずきながら聞いていました。
帰宅後、担任の先生から連絡があり、事実は長男からの話の内容そのままでした。
お友達は泣きながら、
「もうしません」
と約束したとのことでした。
私も長男に伝えた内容を先生に伝え、納得し電話を切りました。
夜遅く帰宅した夫にも話すと、夫の怒りはマックスでした!
ですが、同時に冷静でもあり、
夫「無いとは思うけど○○(長男)が何かお友達に不快なことしたわけではないか?」
夫「相手の親御さんにはその事実を伝えてくれるのか?」
と言っていました。
私もなるほど、と思っていると、主人の怒りがまた沸点に到達し、
夫「ほんま許されへん、俺、明日学校に電話するわ!!」
と言ってくれました。
迷いましたが、
私「…いや、私するわ…今日も先生と話したしな…」
小心者の私は、めっちゃ緊張する…と怯んでいました。
しかし、主人の疑問は確かにごもっともで確認しなければ!と思いました。
翌日、私は緊張しながらも担任の先生に電話をしました。
私「先生がその時の状況を整理してくださったようですので…追加で確認なのですが…○○(長男)が何かそのお友達に不快なことをしたということは…?ないと本人は言っていたのですが…どうだったのでしょうか?あと、この事実について相手の親御さんにはお伝えされているのでしょうか?」
先生「○○さん(長男)は何もお友達にしていません。悪いことは何一つしていません。相手の親御さんへは昨日話し合った時点で事実をお伝えしようとお電話しましたが、繋がりませんでした。今日、再度連絡し、責任を持ってお伝えします。」
との返事をいただきました。
当事者で事実確認をし、話し合いをしてくださり、その後の対応もしっかりとってくださった担任の先生には本当に感謝でした。
長男にとってつらい経験でしたし、その後が心配でした。
でも長男なりに、自分のなかでこの出来事を消化できたようで、この後も、いつも通り学校でも楽しんで過ごせていました。
後日談として…この出来事でもう一つ気になることがあり、長男に聞いたことがあります。
私「ズボン下ろされたとき、パンツも下ろされたの?」と聞くと、
長男「いや、ズボンだけ」
とのことでした。
その日はたまたま、おニューのパンツ(←言い方、古いですよね)を履いていたので、
私「良かったな」
長男「ハハハッッ」と笑えるまでになりました。
人によれば、ただズボンを下ろされただけ、おふざけの延長で笑って終わること、と思われる人もいるかもしれません。
でも、私はそう思いません。
長男が体験した、この事実は立派な性的いじめであること、
また、同じようなことが自身にも周りにも起こらないように、
自分が起こさないように、
しっかり知識として教えないといけないと思いました。
何より長男が不快に思ったということ、お友達に怒りを示したことは長男は間違っていない、立派だと思いました。
親としても大事にしたい思いでした。
おふざけであったとしても一歩対応が違うと、いじめとなり、同じ事が繰り返され、エスカレートしていくのでは、という怖さも感じます。
家庭でも性教育が必要だと強く感じた経験でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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